思い重ねた当時の光景。

湯来温泉の歴史は長く、広島藩士で名絵師であった岡岷山が、1797年(寛政9年)に旅の道中の各地の風景を描いた『都志見往来諸勝図』には、温泉大名神社と宿屋数件が描かれています。これは現在の湯来温泉を流れる打尾谷川沿いの光景です。

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湯来温泉街のはじまり。

湯来温泉街としての歴史は約70年ほどです。その歴史の中でも、1989年(平成元年)7月に公共の無料露天風呂として「湯元」がオープンしたことは、大きな出来事でした。「湯元」には、広島市内からの日帰り客や湯来温泉に宿泊される方々の外湯として、県内だけに留まらず、中四国・九州から、多くの人が利用され、観光客の身体を癒やしていました。

歴史2

湯来温泉街としての歴史は約70年ほどです。その歴史の中でも、1989年(平成元年)7月に公共の無料露天風呂として「湯元」がオープンしたことは、大きな出来事でした。「湯元」には、広島市内からの日帰り客や湯来温泉に宿泊される方々の外湯として、県内だけに留まらず、中四国・九州から、多くの人が利用され、観光客の身体を癒やしていました。

日常に根づいた湯来温泉。

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また、「湯元」は地域住民にとっても欠かすことのできない、にぎわいの場として栄えました。源泉が約28℃で、水道水より温かいということもあり、地域の方々の手洗いの洗濯場としても活用されていました。温泉旅館の1日の始まりは、お客様の布団シーツや浴衣を「湯元」で手洗いして干すことが、日課になっていました。そして、必ず一番風呂は地元のおじいちゃんが入るなど、湯守人(温泉の維持管理)の様な役割を地域の方々が自然と担っていました。

歴史3

また、「湯元」は地域住民にとっても欠かすことのできない、にぎわいの場として栄えました。源泉が約28℃で、水道水より温かいということもあり、地域の方々の手洗いの洗濯場としても活用されていました。温泉旅館の1日の始まりは、お客様の布団シーツや浴衣を「湯元」で手洗いして干すことが、日課になっていました。そして、必ず一番風呂は地元のおじいちゃんが入るなど、湯守人(温泉の維持管理)の様な役割を地域の方々が自然と担っていました。

しのび寄る老朽化の危機。

しかし、観光客減少による運転資金不足や、利用者のゴミ捨て、騒音、イタズラなどのマナー違反なども影響し、2000年(平成12年)3月に公共露天風呂「湯元」は、閉鎖に追い込まれました。それから約20年にわたり、全く利用されない状況が続きました。温泉街としても、日々めまぐるしく変化する観光ニーズに対応できず、後継者不足、マンネリ経営、施設の老朽化などによって、衰退の一途をたどる一方でした。

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そこで、色々と相談した結果、なんとかして湯元を復活させようと「湯来温泉湯元復活プロジェクトチーム」が結成されました。このプロジェクトは、湯元の復活だけでなく、それを足掛かりに湯来温泉街や湯来町を元気にしていく大きな目的があります。”共同の無料露天風呂”として再生させることは保健所の許可の関係で難しかったため、”貸切の露天風呂”として、ご家族やお仲間でゆっくりと楽しんでいただける形で運営を考えました。そして、クラウドファンディングや、たくさんの方のお力添えもあり、19年ぶりに復活。かつて林業で栄えた湯来らしい風呂が出来上がりました。浴槽や脱衣所などは、すべて湯来町産の檜が使われており、とても贅沢な造りです。 この露天風呂の運営スタートが、温泉街再生の一助となりますように。湯来温泉街の再生にはまだまだ長い年げつがかかると思いますが、皆様にこのお湯を楽しんでいただきながら、末長く、活動の後押しをしていただけましたら幸いです。今後とも湯来温泉を、そして誠の桧湯をご愛顧いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

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